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試訳
献の燈 the Lamp of Sacrifice
真の燈 the Lamp of Truth
能の燈 the Lamp of Power
美の燈 the Lamp of Beauty
生の燈 the Lamp of Life
憶の燈 the Lamp of Memory
順の燈 the Lamp of Obedience

おそらくSacrificeとPowerとObedienceが直訳なので、従来はそのぶん理解しづらかった。

11/17追記
献→捧
生→活
# by g441124 | 2009-08-05 21:14
批判?
批判デザイン論にたいし一言ものそうかと思ったが、これは危うい。
彼らの明らかな過ちにたいし漫筆を弄する、これはあまりに甘い罠である。

毎度かわりばえがしないが、しかし短く私見を綴らせてもらう。
「この流れは大きな社会のイデオロギー転換に対してはあまりに無力である。」
こころの問題を看過して批判にできるのは、教科書(の、多くはその目次)づくりに止まるものである。
そしてここにおいて基底的な問題となってくるのは、その教科書を読むひとびとが、自分とその教科書周辺すべての環境に対して何を思い得るかということである。教科書は、ひとびとが正しく想像力を働かす土壌があってはじめて応用への足掛かりとなる。ひとびとが何かを真に「思い」だしたら、批判自体が社会の目的となることは絶対にない。そうしてこの「思い」が現に存在しだしたとき、そこに具体的生命を与えるために、建築家がすべきことは何か。

(で、また漫筆気味になる)

最後に。人間相互に信頼の損なわれた時代に、言葉による理解を積み重ね(あるいは強いる)のは、こと人間の根底の信頼を回復するというこの問題を解決する上では絶対に奏功しないことを付記しておく。要は、人間への信頼の様態というのは、彼自身の身の振りをもってしか示し得ないものなのである。そうして建築家にとっての「彼の身の振り」とは本来いかなるものであるか?そこを倒錯すると公の違和感は徐々に募る。
ただ、建築にまつわる科学的問題に対して彼がもし解答を得たいのであれば、これに対し僕に口出しをする権利はない。その人は科学者だから。真理探究の正しき情熱がある者に対しては、僕は彼に適度な収入が保証され、そうして真理の探究を続けられる機会の増すことを望む。またその結果が(適切な、あくまで教育に適切な)公なものとして出るのであれば、僕は喜んでこれを読むのである。
しかし、過去の悠久をわすれ過去ウン年を語るのに終始し、現在の自分の興味を語って未来を先読みした気になり、立場の表明にこだわり尽きぬ不思議の存在を忘れている現今の悪い大人の例に鑑みてみるなら、今行われている研究のどれほどが真にとるべきものであるか、甚だ疑わしいものなのである(「疑わしい」では誤解があるか。つまり、ここに述べた心性で研究が行われているものに関しては、目を光らせればそのほぼ十割において前提段階に致命的な欠陥が、具体的に指摘できるのである。「疑わしい」というのは、そうして「目を光らせ」させる、何らかの邪悪の直知を指す。いま建築家間で起こっている不毛な細部のつっつきあいは、けだし論客同士がこの邪悪に陥っているためのイタチごっこの部分も大きいのではなかろうか)。

補記)畢竟、現在おこっている批判運動で確実にとり得るところは
「科学は学校で教授可能である。」
というこの一事である。ただ、その一事がとてつもなく重要なことなのではある。

このうすら寒い状況に対するイロニーを、覚えていれば論文に含められたらよい。
# by g441124 | 2009-07-13 01:19
praeterita二週目
一巻9章半ばまで完成ぎみ。
おそろしい間違いがどんどんでてくるが、その検討のたびに理解が深まるものとして楽しんでいる。
以下には百七十一節より、推敲後のバイロン講義。たしか漱石の『文学論』にも同一箇所の引用があった。まだ明らかに怪しい箇所二箇所あり。

―――ここには二つの断章を挙げたが、その簡潔・礼節については言わずもがなである。ただし、第一の引用には偉大な詩のもつ特性が余すところなく列挙されているので、ここではこの点に対し解説を試みたい。その際、読者諸君は特にバイロンの並べ順に気をつけられたい。
(A)判断力。ここでは、かのなんちゃって詩人が理解力のある人間であるかどうか、読者諸君はまずそこを考えてみなければなるまい。バイロンのブラックウッドへの答申にはこうある。「連中は彼(ポープ)を論理の詩人だと称すのです!しかし、だからといってなぜ彼が詩人ではないと言えるのでしょう?」
(B)学習。かのエアーシアの耕作者[バーンズ]にしろ、才能には恵まれているかもしれないが、ホメロス、ダンテ、ミルトンを語るとなれば蚊帳の外となってしまうのである。
(C)効果。そのひとの詩作には効率が考えられているだろうか?その詩句は耳と心にすんなり届くだろうか?読者諸君にはミス・アレキサンダーの『トスカナ逍遥歌集』Songs of Tuscanyの二八六ページにある話を参照して、そこでビアトリーチェの「オッターブ」ottaveがその聴衆に与えた「効果」を理解していただきたい。
(D)想像力。小説家や芸術家にはこの能力を持つ者も多いため、若干下位に位置づけられることとなった。しかし、自身の想像力をうまくとりなすだけの判断力を具えておらず、それを効果的に扱う技術を持っていなければ、彼らも詩人であることにはならない。それどころか、そうなってくると彼らは優れた小説家でも、優れた画家でもないのである。
(E)情熱。詩人が具えるべき情熱とは、一人前の大人であれば誰もが持っているそれと異なるものでもない。そのため優先順位は低くて当然なのである。
(F)最下位にきたのは新奇性である。というのも、新奇性など全くなくても優れた詩人である場合もあるからだ。バイロンはこれをほとんど持ち合わせていなかった。スコットもまた同じことで、彼はさらに戯曲も書けなかった。
# by g441124 | 2009-07-11 02:18
だれか!
Michel Jarrety, Paul Valéry
訳して刊行してください!

「だれか!」←ヴァレリーがえらぶ。
これは下手な訳では出さないでほしい。
# by g441124 | 2009-07-06 19:13
よほどの大部になるので
『鷲の塒』、『大地のエチカ』、『プレーテリタ』各解題を書いてしまって、artes septenaeにひとまずの勢いをつける。各1200字に10枚ほどいけたらよい。
# by g441124 | 2009-07-02 19:34
論文タイトル決定か
seven arts

ラテン語では

Artes Septenae

となって、試みにこれをgoogleにかけるとde artibus reberalibusという文献がでてくる。この中にartes Septenaeなる単語が使われており、内容はむべ教養課程(リベラル・アーツ)に関してのものである。著者GROSSETESTE ROBERT。これをさらにwikipediaでしらべるとロバート・グロステスト(Robert Grosseteste ,1175年? - 1253年10月9日)にいきあたる。氏は「イギリス出身の神学者、科学者、司教。オックスフォード大学における科学的思考スタイルの基礎を築き、ロジャー・ベーコンらに大きな影響を与えた。「イギリスの学問的伝統の基礎を築いた」(A.C.クロンビー)といわれる。」この上なき運のよさに俄か信じられない思いがするが、ラスキン論を展開するにあたり、七冊組で論文を提出するにあたり、また独自の方法論で真を突き止める歩みを記録するにあたり、これに如くよきタイトルは他にあるまいと思う。
すなわちここに長く懸案となっていた
●訳書五冊
●受容史論文一冊
●建築史方法論一冊
の計七冊の論文構成がほぼ動かぬものとなったのである。
表向きは受容史論文にまともなタイトルをつけて提出。
裏タイトルは「方法論」の上掲題。
これが完遂できれば体に涙が動きだすだろう。ああ……もう逃げられない!
# by g441124 | 2009-06-27 22:33
おかえりなさい
友人に頼んでいたフランス語版の『創世記』が手に入った。さっそくthe dustのありかを探るため、3章19行をあたる。
tr. et intro. par R. de Vaux,La bible de jerusalem; LA GENESE; Traduction, introduction et notes sous la direction de l'ecole biblique de Jerusalem; Preface de Stanislas Breton,GF Rlammarion,1973

A la sueur de ton visage tu mangeras ton pain,
jusqu'a ce que tu returnes au sol, puisque tu en fus tire.
Car tu es glaise
st tu retourneras a la glaise.

(アクサンテギュ等面倒な部分省)

「glaise」!思いもかけない言葉がでてきた。
新訳で言葉が変わったとか…?
なぞが深まってしまった。

と思ってハッと気づいた、この件はネットで充分調べられるじゃないか、ということ。馬鹿みたいなことだが。で、調べてみるとpoussièreなどもあたっている。流動的である。古英語訳の一なる訳出に比すると、改めて言語の不確かさ危うさに気づかされる。

ちなみにヴァレリーによるフランス語版「La crise de l'esprit」では「cendres」が用いられている。
# by g441124 | 2009-06-23 00:16
彼に
これは先日某所、2コ下ぐらいの後輩が軽々しく「死ぬ気でやります」なんて言っていたことが、シコリとして頭のなかに残っていたところから発想されたもの。思いついてみればこれは自分にも当て嵌まる、創作行為の情念と理性を司る定言だった。各論を満たそうとすると創造の秘奥(「死ぬ気で」)を忘れ、ただ全体に係いすぎると理性が全く働かないこととなる。意味に重きをおきすぎて言葉の美しさが出ていないので、おそらく三日後には堪えがたい嫌気がするはずである。以下。

し 「システマチックに」
ぬ 「ぬかりなく」
き 「きれいに綜合」
で 「でもポエジーは忘れない」

「しぬきで」と言いつつ死ぬ気もなく、かといって理性を働かせる気もない人の愚。

The arrangement, by imagination, of noble motive, for noble emotion
「高次の感動を引き起こさせるため、構想力によって高次のモチーフに組み替えを施す行為。」
# by g441124 | 2009-05-24 03:33
あああ!
●(ということは、ポール・ヴァレリーの読んでいたであろうフランス語版の『創世記』には、たぶんdustの音に似た「塵」がなかったのだろうな。)そう思っていまPetit Royalをひいてみたら、(考証の第一段階として)案の定dustのあるあたりに同じような音と意味をもつ単語は載っていなかった。フランス語版の創世記……ちょうどそろそろ日本に帰ってくるパリのクラスメイトがいる。幸運。

●influenceってのを「霊妙に降り注ぐ光」らへんで理解する。
これも辿っていけば面白くなりそうだし、もっとよい訳があたる。チョーサーは明らかにここら辺の意味でこの語を使っている(そうして、チョーサーを読むラスキンも、明らかにこの意味でこの語を使っている)のだが、現今の辞書にはなかなか納得のいく解説が載っていない。辞書も人間の作っているものなので、あまりアテにはしないがよい。

「なにが自分の認識のスタンダードを作っているか」……歴史をやっていると、否応なくこの疑問が提起されてくるのである。そうして検討してみると、その九割五分がたが脆弱な基礎の上にたつ認識であることに気付かされる(また、認識自体が「脆弱な基礎である」こともあるわけだ)。ただ、この批判を通過することで、その後建設される作物の堅牢さ(「狷介さ」ではない)は相当に増すこととなる。この作業を導く志向としては、完璧は期さないまでも、徹底的に事実に依ること。倫理観を排除して公正であること(それはまた、倫理的になるということでもある)。この二点である。
事実の事実らしさ。真実の事実らしさ。事実の真実らしさ。真実の真実らしさ。―――ひとつめのものは疑えない。ふたつめのものは実証する。みっつめのものは疑う。よっつめのものを携えて。
# by g441124 | 2009-05-17 00:36
熱情による補足とメモ
それで、文学上でthe Dustの存在を知ったのがバイロンの『カイン』Cainであるところがまた、奇跡的なように思われるのである。
the Ethics of the Dust50節
●岩波版『創世記』訳注159ページに「七節 「土くれ」「塵」の意味にとるべき場合もあるが明らかに「土」の意のことがある。ここもその方がよい。「地」は「アダーマー」、「人」は「アーダーム」で関連する。」とあるが、この訳注自体は一九五〇年近くの年代のドイツ語版よりの翻訳らしい。この原典をあたることが叶うかどうかは難しいが、それぞれカギカッコで括られたものの綴りを見てみる必要がある。おそらくここで議論されているのはdunstのことで、「地」とされている語のドイツ語にもdhuの音があたっているはずである。つまり本意のとりづらい本註解は、おそらくは語源学的な視点からアダーマー、アーダームの「ダー」のシラブルを分析しているのである。

(この気づきは、考えてみればすごいこと。
ツラツラと根気よく訳出を進めていたおかげで、あるところでは日本語の裏に原文の意図が透けて見えるようになった。)
# by g441124 | 2009-05-17 00:24
the   Ethics   of   the   Dust
逐語訳すると「塵の倫理」。
          ――ほんとうにそうか?
この五単語の中に、日本のラスキン受容以来
一三〇年にわたる閑却が横たわっているのだ。
実にこのなかには二語、訳され損ねた単語が
あるのである。
# by g441124 | 2009-05-16 20:34
大「小発見」
灯台もと暗しというのはこういうときのことを言うので、ずっと訳してきた『鷲の塒』Eagle's Nestのなか、こともあろうに第一章、第二章に「ラスキンがアリストテレスを援用していたこと」、ひいてはthe Ethics of the Dustの'the Ethics'が「エチカ」であることのヒントがあった。以下自訳の掲載。

『鷲の塒』the Eagle's Nest23節より

「己を知れ」(全1※)―――ですが、これは実際に識見判断(ソフィア)たり得るのでしょうか。これが本当にすぐれた判断力たり得、科学知識に訴えることができるのでしょうか。君たちはきっと疑問に思うことと思います。これはむしろ、目下の世間やその後のことのために都合のよい処置をとったりするような、打算的で劣った美徳からの呼びかけなのではなかろうか。ソフィアというのは人間の上位にある、人間を超えたものすべてに関係しているのではなかったのか。あるいは「己を知れ」と言うくらいなら、モグラの盛土のなかに埋まりにいくのが禁じられているのと同様、強いて星のところまで背伸びをしようとする必要もまたないのではないか、と。
確かに、最初はそう思えます。それどころか、今日僕が論題にあげようとして先回提起しておいた『ニコマコス倫理学』the Ethicsの文言のなかでは、はっきりとそう述べられていました。各々の動物が自身に何が得かを判別する実践理性(フロネシス)には様々に異なったものがあり、人間もその多分に漏れず、自身の生命の維持のために求めるべきもの、すべきことを告げる独自の実践理性(フロネシス)がある、と、ここにはそう書いてあります。
ですが古代ギリシアの哲人は言います。識見判断(ソフィア)はこうした打算の形式すべての上位にあり、その思考対象は不変不滅、体系は無矛盾で、導きだされた結論は普遍的なものであると。また彼らは、この知は人間の幸福に数えられるものとは一切関係なく、最も崇高なものにのみ通じていると言います。ですから「アナクサゴラスやタレースのような人物を、ひとは賢人と呼びこそすれ、先見のある人物だとは言わない。彼らは自らの便宜となるもののことなど何も知らないのだ。彼らが知っているのはただ知らないもの、信じがたいもの、難解なもの、超越的なものばかりなのである。」(全2※)

(注1※『大地のエチカ』the Ethics of the Dust五十八節参照。)
(注2※アリストテレス『ニコマコス倫理学』the Ethics六巻七章五行。)
# by g441124 | 2009-05-16 15:46
足りない図版
どれも稀覯書。日本にあるか?

【『参考図版集』Reference Series より】
Ref.104 "Madonna" bought at Wyatt's 「路上で買った『マリア』」

【『教育図版集』Educational Series より】
Edu.18 "Anacreon vase" 「アナクレイオンの壷」
Edu.131 "Pisan Eagle" 「ピサの鷲」
Edu.167 "Falcon in the 14th century missal"「14世紀のミサ典書に描かれた鷹」

【『基礎図版集』Standard Series より】
St.5 "Jewel-painting in the John Bellini"「ジョン・ベリーニの宝石の描きかた」
# by g441124 | 2009-05-13 23:28
歴史とthe Dustの感覚 補遺
P.ヴァレリイ「精神の危機」(平凡社ライブラリー・松田浩則訳)
―――わたしたちは、跡かたもなく消滅してしまった世界のこと、その人民や機械とともに、海底深く沈んでいった帝国のことを耳にしたことがありました。そうした帝国は、その神々や法律、そのアカデミーやその純粋科学ならびに応用科学、その文法、その辞書、その古典主義者、ロマン主義者、象徴主義者、その批評家ならびに批評家の批評家とともに、探検不可能な諸世紀の奥底へと沈んだのです。わたしたちは、目に見える大地はすべて灰でできていること、そしてその灰がなにかを意味していることはよく知っていました。わたしたちは、歴史の茫漠とした厚みを通して、富や精神を満載した巨大な船の亡霊に気づいていました。わたしたちには、その数を確定することはできませんでしたが、結局のところ、そうした海難事故はわたしたち自身の問題ではなかったのです。

…原典をあたりたい。
1919年ロンドン発行"the athenaeum"4月、5月号。英語。
→We were aware that the visible earth is made of ashes, and that ashes signify something. Through the obscure depths of history we could make out the phantoms of great ships laden with riches and intellect; we could not count them. But the disasters that had sent them down were, after all, none of our affair.

   ―――P.Valéry, ’the Crisis of the Mind’ Letter I, “The Athenaeum”, 1919

dust ではなくashesだった。意味合いは同じである。


それから『ハムレット』五幕一場(岩波文庫、野島秀勝訳)

ハムレット つまり、こういうことさ―――
アレクサンダーが死ぬ、葬られる、塵に帰る、
塵とは土だ、その土から粘土が出来る、そして
アレクサンダーが変じたこの粘土でビール樽の
栓がつくられる。この推理、おかしいか?
   帝王シーザーも死して粘土と化し、
   隙間風ふせぐ穴ふさぎとならんか。
   ああ、かつて世界を震撼せしめし者の土塊が
   壁の破れを埋めて冬の風除けになろうとは!
# by g441124 | 2009-05-09 01:01
漫画二点
一昨日根をつめて設計をしたら、昨日、今日と頗る頭が鈍くなったので、当座資料集めに徹することにした。これで大体、国会図書館にあるぶんの建築関係ラスキン論は拾えたはずだ。(ただし、論の発展は本当はまだ見ぬ資料の中に埋もれているわけだが…;cf.『工藝社雑誌新家具』)
そうして夜、固まった思考にひさびさに漫画で油を差す。

●『鈴木先生』七巻、『掃除当番』作品集(いずれも武富健治)

『鈴木先生』…どこかで書いたかもしれないが、これぞカント弁証法の実践。漫画作品でこれが実現されていることにはいつも目を見張らされるものがある。どんな表象文化論よりもアクティブな哲学がここにある。ただ、不幸なのは作者をとりまく環境である。自信家勝ち・狂ったもの勝ち(すなわち、現今に言う狭義の「面白い」もの勝ち)の世の中にあって、理性と人心に焙りだされた道徳原理は殆ど理解されることがない。特にその原理の応用に際しての可塑性に対しては、その理解は皆無だといってよい。現今の大人たちの倫理観の錯綜と迷妄とをみる上で、『鈴木先生』本巻は、「オビ」と「解説」をこそ読むべきであろうかと思う。一方で作品中に意識的な責任感が形をとるなかで、武富氏の手を離れたこの「オビ」や「解説」には、無意識的な無責任が露骨に表れている。このほとんど両局ともいえる同居がみられる点に、僕は一層社会に対する懐疑的な興味をもつことができる。

ちなみに、「the Ethics of the Dust」の老教師の語りのニュアンスは、随分とこの漫画に理解の助けを貰っている。
# by g441124 | 2009-05-08 23:07
上田敏の詩訳
「印度古詩」より一連(空白引用者)

            ―――この泡沫は
  吾妹子の靡かす裳裾、かの岸に
  せせらぐ波は、吾妹子の 舞の足踏、
  おゝ、それ、げにも 水こそは
  わが戀ふる人、おもひびと。


頭のなかで音を巡らせてみると、
口蓋にとくとくと意味の泉が湧き出る
感覚がする。「か」行と「ま」行の使い方。
以下にワーズワースの自訳を載せて
おのれの戒めとなす。「さ」行と「な」行。


  あらは巌が根 そが撫で肌に、
  星なす景の さや映ずるを 
  山ひなぎくの おのが知りせば、

“That to this mountain daisy’s self were known,
The Beauty of its star-shaped shadow thrown
On the smooth surface of this naked stone,”
             (Wordsworth, written in 1845)
# by g441124 | 2009-04-27 00:47
「小さな会議場」の構造システム メモ
ドーム下部では材料の物性に合わせて役割を明確に二分している。下部RCが半球ドームの荷重(圧縮)を支え、半球ドーム自体のスラストをSが負担(引張)する。これを造形上の解とあわせ、「逆バットレス」の外観を得た。

半円アーチと、「セグメンタルアーチ」。


あたまいい!
# by g441124 | 2009-04-25 12:20
Wordsworth “The Two April Mornings”
“No fountain from a rocky cave
  E’er tripped with foot so free;
She seemed as happy as a wave
  That dances on the sea.”


「岩がつの 洞より出でて 涌く水の
  かろびやかなるも 如かざるごとき
み足ふむその しあはせなるは
  海に舞う波 そのごとし」

# by g441124 | 2009-04-14 17:57
細かな補足
前々々回の投稿「カント的三分割」について:
三角形の点と辺の話を、「三角形の話」として一緒くたにしていたきらいがある。僕が言及したのは点の話、三批判書の分割は辺の話である。未だ明瞭を欠くが、少しでも語弊の少なきよう。
# by g441124 | 2009-04-13 23:19
an upset night with
the Peaceful Night (John Milton)

“But peaceful was the night
Wherein the Prince of light
His reign of peace upon the earth began :
The winds with wonder whist,
Smoothly the waters kist,
Whispering new joys to the mild ocean,
Who now hath quite forgot to rave,
While birds of calm sit brooding on the charmed wave.”

“The stars, with deep amaze,
Stand fix’d in steadfast gaze,
Bending one way their precious influence ;
And will not take their flight,
For all the morning light
Of Lucifer, that often warn’d them thence ;
But in their glimmering orbs did glow,
Until their Lord himself bespake, and bid them go.”
# by g441124 | 2009-04-13 00:31
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