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<  2011年 02月   >
  • le Corbusier and the occult
    [ 2011-02-18 23:40 ]
  • memo
    [ 2011-02-18 18:08 ]
  • カイエもどき
    [ 2011-02-17 21:55 ]
le Corbusier and the occult
大冊であり、現物史料への当たりかたはかなり執拗。また語りがおおよそ時系列に沿っているので、若年のコルビュジエの事績を辿りたい場合はよい参照源になりそうではある。
ただし「コルビュジエとオカルト」という問題意識は発想が先走りすぎ、結論のための史料集めになっている感が強い。しかも裏にあるのは、「オカルト」と言っても大雑把にフリーメーソン思想の影響のことのよう。同時代の一般的フリーメーソン的傾向の記述は細かいが、そことコルビュジエの建築思想の本質的な部分との交渉はほぼないと言ってよい。もとよりこうした人間心理と表現をまたぐ微妙な問題は、キー概念にたいする著者の定見が分析の方法論とその質にじかに反映されるものである。ことテーマが「オカルト」であり、論者自身がその語をタイトルに冠し、ある意味でその語の衝撃を「えさ」としているのだ。それを「えさ」と感じさせない著者のテーマへの洞察がほしかった。
上記に関連して、全体テーマと方法論をしめすための序が、だからほんとうは欠かせなかった。同書はバートレット校先輩のレイナー・バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』に向けてのアンサー・ブックだと断られているが、
Le Corbusier's book on architecture...
was to prove to be one of the most
influential, widely read and least
understood of all the architectural
writings of the twentieth century...
にたいする解法を与える書としては、これは認められない。

あるいは個人的な研究興味からすれば、コルビュジエの「精神」強調はある面においてラスキンのSeven Lampsの影響が強いことは明らかなので、オカルト文脈でも触れられているだろう、と思った。著者自身もそこの重要性は感じていたらしく、示唆というかたちでそこに触れてはいる。しかしむずがゆい。芸術学校図書目録を調べるのと当時著作の羅列紹介くらいでは何も語ったことにはならない。思わせぶりにそれなりにページを割いているだけに、そのむずがゆさはなおのことである。
しかし、『ごまとゆり』をあげた話、「ラスキン由来のイギリス美学が概説書をとおしてラショードフォンにもたらされた」話などは傍流ではあれ知見になった。

なお、「1917年1月13日、雪のしずかに降るなか、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレはラ=ショー=ド=フォンの鉄道駅に佇んでいた」の出だしまで疑わしくなったものの、注で確認したら、そこは当時記事でウラをとってあるんだあ、と。そのへんは歴史家のヘキ。


※ちゃんとした書評を書くばあい、最初の二行を二〇倍にしなければならないのだろう。
だが、バートレット校のバンハム旒がバンハムへのアンサー・ブックとして書いたと公言している以上、知的エリートの書として上記のような手落ちがあまりにも目につく。
※「結局コルビュジエの神秘主義への関与はわからなかった」ということなのだから、自分であれば史実蓄積の隠喩としてA Mystery constructed: towards the Corbusier's wholeとか題する、、、か。
by g441124 | 2011-02-18 23:40
memo
Corbusier claimed that in the French architectural academism had blown out the "lampes of Verite",in 19__, on attacking the old-fashioned or non-reasonable conception of architecture, but at the same time, in Japan, Ruskin's self Lamps were declared flickering out,---by his own mysticism: and that, the harder he tries to speak of "Truth", the more he becomes a conjurator of irrationalism.
Thus related was Ruskin, in 1937, by Kunijiro Tanaka: and the article 'Fair and Foul in Ruskin's art criticisms' has then appeared, of all places, on "Ruskin Society Magazine".


"A maiden may sing of her lost love,
but a miser cannot sing of his lost money."

Lectures on Art,Lec.III the relation of art to morals,67
by g441124 | 2011-02-18 18:08
カイエもどき
立原道造からラスキン、ラスキンから丹下、ミケランジェロの意識の移行。
まだ数行の言葉にしかならない目的把握感覚を、ここにすこし絞りだしてみよう、、、?
ヒント――?

●立原道造が詩人(ポエット)として胚胎していた建築観、が、浪漫主義でも合理主義でもないところで両者の特性を含んでいた、ということ。(そうしておそらくそれが、原詩人的人間の在り方をかいま見せてくれている、ということ)
ラスキンの受容史通史で知識人の認識のありようを確かめた、ということ
●「イズム」の問題措定ではカタがつかず、おそらく時代把握の事態はさらに混乱する。
あるいはたとえば「ハイデガーのターミノロジーでカーンを語る」愚に陥るのは、上述「知識人の認識のありよう」にはまることと心得なければならない。それはみずからを歴史内存在として意識化すること足りないためにおこる愚である。歴史家は方法において歴史的であってはならない。
これらに対しての方法論的回答は、Seven Lamps of Architectureの訳、および構造分析においてある程度示しえている。
●ポスト・モダンの時代はおそらく、特に日本人建築家の場合はほんとうにすっ飛ばしてよい。
ただし磯崎の担った問題はふたたび取りあげられる必要がある。現実・未来の世界観というよりも、人間のもちうる原・世界観という問題系の上で。

日本人だから西洋的思考伝統が「ない」、ことよりむしろ、西洋的世界観を天稟として有した者が西洋思想を掘り下げるところに戦後建築思想史の重要な点がある。ここで日本人のある者は、一気にその理解の最先端へとすすむ。「西洋人の西洋思想」はそうして、そこでその地理的な優位性を保ちえなくなった。こんにちの状況はそうして、両者ともの尻すぼみである。

●エジプトを「東方」として規定したときの磯崎にはおそらく、内田佐久郎が「近世建築史上の諸問題」というタイトルで引き寄せてみたときのような、岸田日出刀が「バロック」を「精神錯乱」と訳してみたときのような、過去西洋と現代自己の同一化の心情があっただろう。ただしその遠望に志向する精神性は真逆である。磯崎の場合のそれは、ネオプラトニズム的「神―人間」の合一の可能性への希求に後押しされてあっただろう。

●「そこの感情を黙る」ことが、おそらく丹下記述のためのキー概念。
……だから「ミケランジェロ公」はもっとしっかり読まれなければならないのだが――?



補足
呪術的な意味あいの幾何学と、統御能表現のための幾何学はハタ目に同じでも使われる心性はまるで異なる。「知識としてもつものの再現前」と「高次表象により捉えられた把握内容の具現化」とのあいだには、表現の質として無限の隔たりがある。



――ここで断っておかねばならないことは、実験装置などというと、いかにも民衆を実験台としているというふうに誤解されそうであるが、もっと広い意味で、歴史の検証のなかでは個々の建築は大なり小なり実験装置的意味をもっている。逆にいえば、歴史の検証は民衆が行うものだからである、ともいえよう。(丹下健三『人間と建築――デザインおぼえがき』彰国社、1970年9月、44ページ)
――人間が「すべきこと」の「すべき」とは、けだし、心と意志の演習(エクササイズ)のため以外には別段意味などない。その「こと」自体はそうして、何の役にたつわけでもないのである。だからどんな場合であっても、みずからの腕前や精神力を注ぐまでもないなら、その「こと」自体のもつ無くもがなの実用性など、振り捨ててしまっていい。知の示すところと相反する安易を択ぶのも、知のためには別になくともよい道具で不利を蒙るのも、知と知が司るものとの間に邪魔をいれるのも、――永遠には相応しくない。(ラスキン『建築の七燈』、Lamp of Life二四節)
by g441124 | 2011-02-17 21:55