立原道造からラスキン、ラスキンから丹下、ミケランジェロの意識の移行。
まだ数行の言葉にしかならない目的把握感覚を、ここにすこし絞りだしてみよう、、、?
ヒント――?
●立原道造が詩人(ポエット)として胚胎していた建築観、が、浪漫主義でも合理主義でもないところで両者の特性を含んでいた、ということ。(そうしておそらくそれが、原詩人的人間の在り方をかいま見せてくれている、ということ)
ラスキンの受容史通史で知識人の認識のありようを確かめた、ということ
●「イズム」の問題措定ではカタがつかず、おそらく時代把握の事態はさらに混乱する。
あるいはたとえば「ハイデガーのターミノロジーでカーンを語る」愚に陥るのは、上述「知識人の認識のありよう」にはまることと心得なければならない。それはみずからを歴史内存在として意識化すること足りないためにおこる愚である。歴史家は方法において歴史的であってはならない。
これらに対しての方法論的回答は、Seven Lamps of Architectureの訳、および構造分析においてある程度示しえている。
●ポスト・モダンの時代はおそらく、特に日本人建築家の場合はほんとうにすっ飛ばしてよい。
ただし磯崎の担った問題はふたたび取りあげられる必要がある。現実・未来の世界観というよりも、人間のもちうる原・世界観という問題系の上で。
日本人だから西洋的思考伝統が「ない」、ことよりむしろ、西洋的世界観を天稟として有した者が西洋思想を掘り下げるところに戦後建築思想史の重要な点がある。ここで日本人のある者は、一気にその理解の最先端へとすすむ。「西洋人の西洋思想」はそうして、そこでその地理的な優位性を保ちえなくなった。こんにちの状況はそうして、両者ともの尻すぼみである。
●エジプトを「東方」として規定したときの磯崎にはおそらく、内田佐久郎が「近世建築史上の諸問題」というタイトルで引き寄せてみたときのような、岸田日出刀が「バロック」を「精神錯乱」と訳してみたときのような、過去西洋と現代自己の同一化の心情があっただろう。ただしその遠望に志向する精神性は真逆である。磯崎の場合のそれは、ネオプラトニズム的「神―人間」の合一の可能性への希求に後押しされてあっただろう。
●「そこの感情を黙る」ことが、おそらく丹下記述のためのキー概念。
……だから「ミケランジェロ公」はもっとしっかり読まれなければならないのだが――?
補足
呪術的な意味あいの幾何学と、統御能表現のための幾何学はハタ目に同じでも使われる心性はまるで異なる。「知識としてもつものの再現前」と「高次表象により捉えられた把握内容の具現化」とのあいだには、表現の質として無限の隔たりがある。
――ここで断っておかねばならないことは、実験装置などというと、いかにも民衆を実験台としているというふうに誤解されそうであるが、もっと広い意味で、歴史の検証のなかでは個々の建築は大なり小なり実験装置的意味をもっている。逆にいえば、歴史の検証は民衆が行うものだからである、ともいえよう。(丹下健三『人間と建築――デザインおぼえがき』彰国社、1970年9月、44ページ)
――人間が「すべきこと」の「すべき」とは、けだし、心と意志の演習(エクササイズ)のため以外には別段意味などない。その「こと」自体はそうして、何の役にたつわけでもないのである。だからどんな場合であっても、みずからの腕前や精神力を注ぐまでもないなら、その「こと」自体のもつ無くもがなの実用性など、振り捨ててしまっていい。知の示すところと相反する安易を択ぶのも、知のためには別になくともよい道具で不利を蒙るのも、知と知が司るものとの間に邪魔をいれるのも、――永遠には相応しくない。(ラスキン『建築の七燈』、Lamp of Life二四節)